恋い焦がれて苺と西瓜

今日は記念日、じゃないけど君に花束を

いきろ


いつもみたいなブログじゃないから、できれば読まないでほしい





















































2019年6月12日









私の教習期限が切れる日
























私は小さい頃から人とコミュニケーションを取ることが苦手だった


ものを言うのが怖い
評価に関わらず人からの言葉も怖い

日常生活を人並みに送る努力はしたけれど、息苦しかった










肯定されたかった




継続を、考えを、努力を、我慢を、存在を





生きてていいんだと思いたかった














































両親は私に、期待をした


成績とか、将来の仕事とか






両親の育て方が間違いだったとは思っていない


常にそれなりの成績を取っていた
良い大学に一般受験で現役合格できた








でも、ずっと、窮屈だった










私は血もグロも何もかもダメで、医療系の進路を諦めた






親が、私に医者になってほしいと少しでも思っていることは気付いていた



その期待に応えられなくて、部屋で何度も泣いた











悔しかった
期待に応えないと認めてもらえない気がして

苦しかった























私はただ、最愛の家族に、今の私を認めてほしかった




功績や成果じゃなく、今ここで私が生きていることを肯定してほしかった



































20年ほど生きてきて、いよいよ崩れてしまった


応えようと頑張ることが出来なくなった

期待に
信頼に


































私は、大阪弁の教官が怖くて仕方なかった




ただでさえ東北人の私にとって圧力を感じやすい方言だ

密室で1対1で会話しなければならない空間に耐えられなくなった





そして並行して色んなことがあった
大したことではないが余裕がなかった









私は心が弱くて教習所に通えなくなった




















家族LINEで謝った

期限内に終えられそうにない、と


罵倒される覚悟はあった




















懐が痛まないお金は無駄になってもなんとも思わないのでしょうか?













ごもっともなんだけど、それでも、それだけは言わないでほしかった

























悪いのは私だから、我儘を言うつもりはない













でも、ものの分別が付くようになってから、稼ぎのない私にできる最大限の努力をしてきたつもりだ










「我慢」だ

















年の離れた妹がいるし裕福なわけではないから、QOLを全て犠牲にしてでも家のために我慢した











我慢なら、私にもできると思った







































でもそのエゴでしかない「努力」を、両親は認めてくれていなかったってことだ




















































嗚呼、私が生きてきたのは無駄だったのか













































































私は今しあわせだ、大好きなものを見つけて大好きな人たちに囲まれて生きている






今生きているのが楽しい












いっそ血の呪縛から解放されてしまいたいとさえ思った
























































いつか、私を肯定してほしいって言える日が来ることを願う