恋い焦がれて苺と西瓜

今日は記念日、じゃないけど君に花束を

【存在の肯定】の話 vol.-1

 

 

おはこんにちばんは。さくらさきこです。

深夜2時にストロングゼロをキメた状態で書いています。

 

 

 

 

最近【存在の肯定】に伴って生きていけなくなっているお話です。

 

 

 

 

生きるために【存在の肯定】を探していたのに、それはお前めちゃくちゃ本末転倒では?という感じなんですが……。

 

 

 

 

大学生になり、人間関係に恵まれようやく自分の【存在の肯定】を見つけ始めました。私もここで生きていていいんだ、ひとりの人間として生きていることを認めてもらえているんだ、と。

「努力を認めること」はもちろん嬉しいし、価値のあるものだと思います。そのために20年くらい生きておりました。ですが【存在の肯定】は「生きているだけでいい」なんです。「あなたが生きていて嬉しい」、という最上級の肯定です。その概念を手に入れ、探し求め、っていうそこまではよかったんです。

 

 

結論から言うと

①【存在の肯定】を得たいという感情が満足してしまった

②素敵な人と結婚して素敵な家庭を築くことが人生の最終目標な気がしてきた

③何をどう頑張っても1番欲しい相手からは【存在の肯定】を貰えないということに気付いてしまった

の3点です。

 

 

成人する前は「努力していないと人並みの人間でいられず、他者から対等に認識してもらえない」と思っていたため、ネガティブなまま前を向いて生きていられました。ですが今は身の回りの色んな人が私の存在を肯定してくれます。みなさんありがとうございます。そして「すべての人は生きているだけで素晴らしい」と思えるようになったのです。私もあなたも。つまり、頑張る必要が無くなってしまったのです。

 

学歴も、いい会社に就職も、いい年収も、何も要らなくなってしまいました。衣食住を確保出来たらあとはどうでもいい、どうにか生きていられたらなんだっていい、なにをやりたいとも思わない、と。

そんな腐った私を誰も肯定なんてしないだろうとは思っています。そんなことはわかっています。でも自分で自分を否定して苦しめることが無くなってしまいました。

 

 

お金が全く要らないわけじゃない。そりゃできることならそこそこ稼ぐOLになって佐久間大介をヒモに飼いたい。でも現実の私の今後の進路にリンクしないのです。この勉強しないとその将来が見えないならやっぱいいや諦めよ、って思えてしまうのです。

 

 

大学に受かったときの成績は正直全然良くないから地頭は下の下、そのくせ院進を選んでしまった(就活していない、の間違い)から勉強しないといけない、TOEFL受けないといけない、卒業研究しないといけない、なんでこんなに苦しいんだろう、頑張っても出来そうにないならやめてしまえばいいじゃないか、大人しく地元で働いて適当に生きた方が楽じゃないか、ちょうどいい人と結婚してちょうどいい家庭を築く方が幸せじゃないか。

 

 

とか考えてどこにも行けなくなってしまったわけです。

 

 

 

 

 

 

適当に結婚して、とか言ってしまいましたが結婚が適当はさすがに嫌ですすみません。結婚願望というか、これは自分の両親に対する憧れです。あんな夫婦になりたいな、そして子供を授かってのびのび育てたいな、と思います。これは積極的に想う夢です。最近家の近くを散歩すると素敵な一軒家がたくさんあって、外からも見える兄弟が遊ぶ影とか食卓の匂いとか、なんだかすごく羨ましいなって思います。

稼ぐこともいいけれど最終的にはこういう暮らしをするのが夢だなあ……えっっ学歴とか要らなくない???という考えに至ってしまうのです。

 

 

 

 

 

 

最後の最大の壁、1番【存在の肯定】を欲しい相手、というのはもはや未練でしかありません。この人と一緒に色んな景色を見たかった、この人と一緒ならどんな苦労でも乗り越えられた、と未だに鮮明に想い描いてしまう自分に呆れます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今自分が直接戦っているのが勉学だというのが大きく影響している可能性はありますが、こんな腐りきった思想に陥ってしまいました。【存在の肯定】のためだけに生きようとしてはいけないですね。【存在の肯定】の定義そのものを勘違いして未来を諦めています。なんでこうなっちゃったのかなあ。

 

私はかれこれ9年くらい高橋優さんのファンをやっています。彼を好きになった理由は雑に言うと「劣等感をきっかけに、ガムシャラに努力するところに共感したから」です。あれ、高橋優に憧れたあの頃の私どこにいっちゃったのかな。もうちょっと共感して憧れ続けて泥臭く生きててもよかったのにな。おかしいな……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

はい、くだらないことに悩むのは5月で終わりです。6月からは無鉄砲クレイジー全力疾走爆速ポジティブ女に戻ります。

 

 

 

 

 

ここまでやってきたことを無駄にしちゃいけないよ。私はよく頑張ってきたよ。周りと出来を比べるのはやめよう。自分にできることをひとつずつやっていこう。

幸せな家庭を築くには私の人生の豊かさも必要だよ。焦らなくたって然るべき時にきっと素敵な人に出会えるから、今は自分という人間を確立させるためにゆっくり生きていこう。

未練は引きずっても引きずらなくてもいいよ。ただし「もしかしたら」のために未来を捻じ曲げるのはやめようね。あくまで自分のために生きるのが前提だよ。『あなたが若さ 若さ 若さを失くす前に / ミニスカートのシンデレラでいられる内に / 歳をとっても すがれるように / 思い出を燃やせ』だよ。いい意味で失敗は怖くないよ。

 

高橋優のように泥臭く愚直に、加藤シゲアキのように自分のために努力を積み重ね、中村嶺亜のように努力を当たり前と思い、佐久間大介のように底なしに明るくいこう。こう見ると僕の推したちみんなすごい人たちだなあ。

 

自分に何ができるのかの探索も必要なことだと思う、ただしそれは「楽をするために」じゃなくて「選択肢や可能性を広げるために」でなくてはならない。

 

 

 

 

 

 

たまには楽をしてもいい。休憩していい。ジャニーズとかパーカーくんとか田中みな実の写真集とか、癒されましょう。何のためにお金払ってるんすか。

 

 

 

 

 

 

 

 

自我の保ち方もうちょっとバランスよくいこうね、っていうお話でした。